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そもそもバースデーというものに、特別感、という意味での思い入れが特にないので、昨夜のいわゆる「バースデーライブ」に何をするのか、わりと考えた。

細かくは省略するが、誕生、に焦点を絞ったテーマで臨もう、ここまでの横軸を並列にしてもいいのではないか、転じて大雑把に言えば、もうそろそろ全部混ぜていいんじゃないか、というところに腰が据わった。

ライブスコーレは、名古屋、シネマスコーレ全面協力ということで、映画館の本業でもある「映像」の使用許可もあり、坪井さんからの提案も相まって、開場から開演まで、本格的に歌を歌うようになった2003年から8年間やってたバンド、Physalisの映像をかけることにした。

ちなみに会話の中で、映像を出すことを「かける」「回す」という彼の言葉遣いに、いちいち、ほんの少しの昂揚感を感じるのは、妙に不思議な発見だった。職人感、とでもいうのだろう。

さておき、そもそもがPhysalisの映像をかけることにした理由はというと、それが冒頭の全部混ぜて~、の部分。もっと言えば、ボーカリストとしての歴史の中で、なに一つ、今につながらないものはない、という、ある種、諦観にも似たその感覚は、今の自分にとても刺激的なものだった。

映像を選別する過程の中で、たくさん自分にとって「過去」の演奏、歌唱を聴いたが、それらの全てがどんな風に、どうして、どうなったのか、懐かしさはもちろんのこと、現在の歌唱の部分として、どこに相当するのかが手に取るように分かった。

絵画で言うところのパースのように、歌唱における様々な部位や距離がわかるのだ。
二次元的でなく三次元的なもの、であるのは考えてみれば当然なのだが、感覚で創ったものを技巧とは呼ばないように逆もしかり、技巧で創った「だけ」のものは感覚には響かない。

そして肝心なことに、それらのほぼすべては、瞬間・体感的には、頭でわかるかわからないか、に属さないのだ。それをもっての一回性なのだろう、と改めてわかった。
もちろん、きっとそれは自分にしかわからないことでもあり、だからこそ、そもそも語ることではないのだが、今日は特別でいいと思い、書いている。

そして、ここまで書いておいてなんだが、観念的なことにしか見えないな、と気づく。
書いていることはとても、簡単なことで、単純なことなのだが、そうであるからこそ、わからないことはわからない深さに見える。
それはきっと、歌でもなんでも、同じなのだろう。

わからないことは、わからない、でいいのだ。
感じることは、感じる、でいい。

ただし、わからないことに必ずしも「知らないこと」が存在しているとは限らないし、感じないことが必ずしも「そうではない」とも限らない。
何かを把握しようとすることは得てして未来も心も狭めてしまうのだが、少なくとも自分は、こんな未来を一ミリたりとも想像しなかった。

結果、今、素晴らしい。
ただそれだけでよいのだと思った。
昨夜はといえば、シネマスコーレならではの時間で、楽しかったし、嬉しかった。サンキュー。

どちらかが死ぬまでドキドキしよう、ワクワクしていよう。
たとえばそんなのでいいのだと思う。

あの歌を、あいつに届けてくれよ、あれは、いいものだ。
終わり際に言うなら、そんなところでよい、そうして、永遠にさようなら、34歳。
34年間の喜怒哀楽の全てに感謝を、そしてまた重なる一年を、どうぞよろしくしてください。
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撃たれても、鳴け

最大公約数的な葛藤と、最小公倍数的な主張。

どちらもつまらないなと、そんなことばかりを感じることが多い、
それ自体がくだらない、というよりは、どこか寂しい。

雉も鳴かずば撃たれまい、とはいうものだけれど、
撃たれても、鳴いていたい。

そういうものでは、なかったのだろうか。

今年もあと少し、もうすぐ歳も重ねる21日。
ライブを楽しみにしている。してほしい。
楽しもう。
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