貴種流離

スピーク・ライク・ア・チャイルド。子どものように話そう。
あの頃は良かった、あの頃が懐かしい。
いつか誰もがそう言えるくらいには、誰もが等しく時間を食らい、目は高くなる。
よいものを選ぶ、ということが、ひとつの生き抜く為のひとつの指針となる。

ものなのだ、と錯覚する。

スピーク・ライク・ア・チャイルド。子どものように話そう。
君となら、何を話すだろう。あなたとなら、何を話すだろう。
たとえば夢、たとえば希望、たとえば嘘、そしてたとえばまだ見ぬ日々だ。

すべては、まだ縛られはしていない心が生み出す旅の種子。
花を咲かせるものだけが種ではなく、枯れゆくものだからといって悪でもない。
幾度言ってきたか、同じように、ただ、そういうこと、というだけだ。

種は種であるだけで素晴らしい。
花は花であるだけで素晴らしい、わけではない。
また、素晴らしい、こと自体が、尊い、ということではない。
素晴らしさの価値も、尊さの価値も、自己以外の何かによって決まってゆく。

ものなのだ、と錯覚する。

スピーク・ライク・ア・チャイルド。子どものように話そう。
決まるものではない、決めるものだ。
夢も希望も、嘘も日々も、すべての旅も、あるいはその種も。
決め続けることは、それでもひどく、難しい。

知りもしない者達が、存在したその瞬間、諸手を挙げて迎え入れる尊さを、愛とは呼ばない。
だが、その両手には、見えない無限の種が握られていたのだ。
咲いたのか、枯れたのかに関わらず。
たくさんの時間を越えて、たくさんの想いを込めて、尊さを存在させる。

ものなのだ、と錯覚する。

尊いものは、存在するその前から尊さを選ばれている。決まってしまうものは、多くはそうだ。
そこに追いつくことができるのか、試されているのは、いつでもそういうことだ。
それでも、決めるのは自分でいい。そうでない限り、咲くことは決してない。

スピーク・ライク・ア・チャイルド。子どものように話そう。

夢の話を。旅の花の行方を。そしてたとえば、捨ててきた種を。