竜殺し

それを考えてしまうことはある意味では禁忌なほどに。
古今東西描かれる強大な存在、の出処はいつでも不明瞭だ。

挑む姿、その勇姿のためにあるもの、と言ってしまっても言い過ぎではない。
まるで悪魔のように。まるで地獄のように。

結果論でしかない絶対善の為に、存在することにされる絶対悪は溢れ。
そのひとつが竜と呼ばれることもあるのだと、歴史は教えてくれる。

まったく笑えない、醜悪な話だが、信じさえすれば存在するのだ。
畏怖でも従属でも構わないが、そこにあるものは擬似的な臣従に他ならない。
その臣従を、人は時に神と呼び、悪魔と呼び、時に奇跡と呼び、そして竜と呼ぶ。

それを、殺す、のだ。
もはや並々ならぬ、どころの創造力ではない。想像だけでは、ありえないのだ。

真実がどうなど末端に過ぎず、本質的には、それはすでに存在する。
そしてここにおいて、存在することは、存在させることと変わらない。
残念なことに、あるいは喜ばしいことに。
いくら突き詰めても、そこに本来の答えはすでにないと、歴史は教えてくれる。

初めから形がないことを知っている誰かが、形をとる。
それは時に武器となり、広義的にには手段と言い換えても、差し支えはない。

勝つためでも、生きるためでも構わないが、それはつまりは手段なのだ。
数限りない手段の中で、輝かしさを誇るものだけ、というわけではない。
禍々しさや呪いにも似た力をも、等価交換のように引き連れてこそ、殺すのだ。


誰もそこまでいけやしないことを夢見ながら、見つけられることを待っている。
竜殺しとは、そういうものの総称なのだと、古今東西の歴史が教えている。

数限りない結果論を引き連れて、いつか名前がつく日を待っている。
竜を殺す日をじっと待っているのだ、あの剣のように。

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