ハイヌウェレ

言葉も文字も、人間たちのものであるのだから。
瑣末なことも、些細なことも、いずれにしても、淘汰されてゆく。

出したものの行方など、知ることも、知る必要もないのだ。
人間たちがそれを財宝というのだから、それは財宝なのだろう。
またそれをして時に応じ、人々は声なく、排泄とも呼ばわる。

埋められ、植えられたものがなんたるかの意味など、瑣末なことだ。
そこから血となり肉となるものがなんだとしても、理由など些細なものだ。

意味など、ない、ことでさえも、その意味を成す、ことを求めていては。

「いくらほってみてもまったくもって、なんのことだかいっさいわからない」

人類の財宝たるひとつ、辞書、をひけば。
芸術とは、表現者あるいは表現物と、鑑賞者が相互に作用し合うこと。
そこから精神的、感覚的な変動を得ようとする活動。
とあり、また、芸、の文字を紐解けば、本来は、植える、ことであるという。

なんだ、人間たちも、元来、知っていたのではないか。
意図せずとも、自覚せずとも、いっさいが植わっていたのではないか。

そういうものに、なりたかった、わけではないのだろう。
植え続けられ、食べ続けられる神々のすべてに。
その一切を相互だと呼ぶのであれば、時には哀れみを施すべきではなかったのか。

枝を折り、祈っては食べる。
出したものの行方など、知ることも、知る必要もないのだ。

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