アエタス・アウレア

理想とはいわば想像の果て、到達であり、その原始だ。

敵を亡し人をなづけ、諸事沙汰の途轍を太平と呼ぶのは人だが、
原始とはすなわち想像の果てであり、それはまた、創造のための想像であったろう。

連綿と続いてきたそれと、今から続くそれとが、
なぜに、いつからこうも名前が違ってしまったのか。

それでも、というべき何かを残していられることとよく似た、
あってほしいという願いこそは、本当は幸せに他ならない。

たとえるなら物語とは過去にしか存在しないものだが、
それは誰の、というよりもなお、何の過ぎ去りであるのか。

途を辿れば形作るそれは、過去になればなるほど遺産となるが、
死んだのはなんだったろうか、と考えることは、ものは、存外ない。

過ぎ去ったものを黄金を呼ぶ多くの中で、
たとえばわたしは、なにに名前をつけ、どう呼ぶのだろうか。

さあゆこう、我々の理想郷へ。
などと言えば、たいていの格好はつくのだが、
そういうものに、私はなりたくない。

つくるではなく、なるのがよい。
それがもしも、何であっても。
そしてそれまたいつか、どこかの地平の虹となるのだ。


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