ユグドラシル

胡蝶の夢を誰も知らないが、知る必要なぞどこにもない。

はじめから、何もない。
無限のうちにこそ有限があるように。
空虚にこそ充足を見出すように。

韜晦した何かを衒学的に彩る必要などない。
この一文が全てを物語っている。

世界を形作るのが物語り、なのではない。
物語るのが、その世界なのだ。

ついぞ、ここまできたのなら難しく考えることはない。
それはそもそも、最初からそういうものだ。
ただ、在ればいい。語るのは、必要とする何かだ。

ウトナピシュティム

ことが終わってから、という意味でなく、
すべては過ぎ去ってから気付くものだし、沸き立ってから揺れるものだ。

気付くことを知っていれば、揺れることをわかっていれば、
それらはいつでもまた、違う何かに振れていったろうが、そうはいかない。

そして多くは、残念ながら、などという属性を与えられるのだが、果たしてそうだろうか。

得て、失い、存在し、消滅する。
流れてゆくのは、一切の常だが、流してしまうのは常在ではない。

掴みえることをせず、捕らわれた箱の中でこそたとえば水は溢れゆき、
いずれは波となり、自身さえも飲み込んで、流れゆくのだろう。

そして、6日6晩ののち、大洪水は明け、ウトナピシュティムは不死となった。
不死とはつまり、ある意味では生きていないことだ。

それを幸福と呼ぶのか、不幸と呼ぶのかは、やはり私たちの物語にほかならず、
しかしながら、それもやはり私たちの物語にほかならない。

沸き立つ前に揺れるものを掴めるとしたら、どうだろうか。
普通はきっと、最初喜び、のちに恐怖するだろう。

ことが終わってから、という意味でなく、
すべては過ぎ去ってから気付くものだし、沸き立ってから揺れるもの、だからよいのだ。
本当は。

半神

たおやかさに対する憧憬の残滓だ。
他に、何もない。

どこまでも正確なそれ、から、ほんの少しだけ外れたものこそが、
なぜだろう、より光を放ち、あるいは闇に迎えられる。

たとえば途方もなく外れているそれよりも、醜悪に腐敗臭をたぎらせ、
そしてなぜだろう、どこかしら近しいのだ。

それ、が人知を超えたものであるならば、
半神とは、半ば、人知を超えたもの、だが、
そんなものはすでにそこかしこに溢れている。

誰の中にも、どなたの中にも、誰の中でも、ある。
つまりはそう感じたいという願いどもの、たおやかさに対する憧憬の残滓だ。

なるほど奥が深い、そして、断じて浅い。
双方を存分に奮うことに、なまじっかな執着などは到底及びはしない。

着地を求める、そのすべては願いに他ならないが。
説明などできはしないもの、そんなものはどこにでもある、否、あったもの、だ。本来。