SCREEN.01「ソーシャルエンカウンター」

今作を制作するにあたり、一曲目の配置は全く迷わなかった。画面越し、そして、それらそれぞれとの、あるいは、そこから、の出会いが軸である以上、一曲目は、曲名の通り、これ以上の適任はなかった。

つぶやく、うそぶくなどは想像に難くないSNSに代表されるような、現代の頼りない発信になぞらえ、そこから裏返した形あるものを表現するつもりで書き始めたはずだったのだが、いざ書き上げていく段階になると、自分でも不思議なくらい意味が裏返ってしまった、不可思議な出来事を今でも覚えている。

作曲を始める段階で出てくるパーツは、完成して初めて、ここだったのか、ということが自分には多いのだが、出来たきっかけは「出会ってしまったんだ」のワードからだった。自分としては、比較的珍しいパターンではあるが、結果的にそこは一度聴けば一番重要だとわかりやすく、しかも素晴らしい意味でしかないフレーズになっていた。

その経路自体が、そもそも自身の画面越しの活動とよく似ていること、も、今楽曲が「SCREEN」の冒頭を飾るのにふさわしい理由であることも付け加えておきたい。そもそも、はじめから輝かしい意味で書いたのであれば、出会って「しまった」とは書かなかったろう。自分事ではあるが、滋味深い。

と、精神的な部分がメインになってしまったが、サウンドとしては明白で。リードとしてエレキを入れることも考えたが、楽曲の特性を考えると旋律以上にリズムを立たせられるアコースティックギター、に限定し、ベースとドラムが入った、単純なものとなっている。今作に総じて言えることでもあるが、歌唱メロディーのみを引き立たせる為に、逆説的にコーラスも取り入れないことにした。

「結果的」に、まっすぐであり、直線的な仕上がりが、何度も言うが、自身の画面越しの活動とマッチしていて、ほんの少しの余白が残っていることも含め、とても気に入っている。言うまでもないことだが、大切なのは「結果的に」というところ。「SCREEN」という作品を発売する未来など、まったく描いていなかったものだ。
posted by SASAYAMA. at 03:30Comment(0)SCREEN

ニューアルバム「SCREEN」

『BLOG、Ustream、PODCAST、Twit Casting等、様々な画面越しに彩られ、十周年を迎えた灼熱の2018、夏!切っても切れない、たくさんの「SCREEN」を通して、重ねられてきた楽曲たちを、一挙16曲収録!無数のソーシャルエンカウントから始まった全ての出逢いに感謝を込めて、それでは今夜も、どうぞお聴き下さい。』

ニューアルバム「SCREEN」の帯コメントにはこう書いたが、実際良くまとまっていると思う。
今作は、おそらく、ある意味では「ベストアルバム」でもある。

一体なんのベストか、というと、自身の活動から欠かすことのできない「画面越し」の種々。
そこからリアルなスクリーン、つまりはそれぞれの視界、心に映るものが軸になっている。

といえば綺麗に濃縮できているようにも思えるが、ではその実態はというと、寄せ集めでもある。
つまりは、ぐちゃぐちゃなのだ。後ろ向きでなく、とても能動的に、積極的に、無秩序な一枚。

そして、それこそが、この「SCREEN」の真髄でもある。
表現としては、一曲一曲の楽曲単価が高いのだ。
聴く人それぞれに、思い思いの捉え方、などというレベルでなく。

出会ってきた様式やタイミングによって、想起するものに差異が激しすぎる。
また、それらを全く知らない人にとっても、とても聴きやすいものにした。

そういった意味で、異彩を放ち、異様を誇る今作なので、今回は初めてのことをやろうと思う。

長くなったが、ライナーノート、それもセルフで、楽曲単位で記事を書いてみることにした。
とはいえ、とても珍しいことなので、どうなるかはわからないし、ペースはゆるく。
また書けること、書かないこと、が当然あるので、クオリティにはご容赦いただきたい。

楽しめる方には、ほうほう、と楽しんでもらえればありがたい。

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posted by SASAYAMA. at 18:03Comment(0)SCREEN

竜殺し

それを考えてしまうことはある意味では禁忌なほどに。
古今東西描かれる強大な存在、の出処はいつでも不明瞭だ。

挑む姿、その勇姿のためにあるもの、と言ってしまっても言い過ぎではない。
まるで悪魔のように。まるで地獄のように。

結果論でしかない絶対善の為に、存在することにされる絶対悪は溢れ。
そのひとつが竜と呼ばれることもあるのだと、歴史は教えてくれる。

まったく笑えない、醜悪な話だが、信じさえすれば存在するのだ。
畏怖でも従属でも構わないが、そこにあるものは擬似的な臣従に他ならない。
その臣従を、人は時に神と呼び、悪魔と呼び、時に奇跡と呼び、そして竜と呼ぶ。

それを、殺す、のだ。
もはや並々ならぬ、どころの創造力ではない。想像だけでは、ありえないのだ。

真実がどうなど末端に過ぎず、本質的には、それはすでに存在する。
そしてここにおいて、存在することは、存在させることと変わらない。
残念なことに、あるいは喜ばしいことに。
いくら突き詰めても、そこに本来の答えはすでにないと、歴史は教えてくれる。

初めから形がないことを知っている誰かが、形をとる。
それは時に武器となり、広義的にには手段と言い換えても、差し支えはない。

勝つためでも、生きるためでも構わないが、それはつまりは手段なのだ。
数限りない手段の中で、輝かしさを誇るものだけ、というわけではない。
禍々しさや呪いにも似た力をも、等価交換のように引き連れてこそ、殺すのだ。


誰もそこまでいけやしないことを夢見ながら、見つけられることを待っている。
竜殺しとは、そういうものの総称なのだと、古今東西の歴史が教えている。

数限りない結果論を引き連れて、いつか名前がつく日を待っている。
竜を殺す日をじっと待っているのだ、あの剣のように。