聖剣

たとえば人が描くものだけでもいい、願いの種類は一体どれほどのものだろう。
そこかしこに転がる当たり前はもちろん、反対側にも必ず在るのが、願いというやつだ。
当たり前に望みはしなくとも、望まないようにしているであろうそれら、も。
実は、と言わず、いつでもそこかしこに潜んでいる。

隠したいそれと同じように、息を潜めて、こちらを見ている。
それを隠しきる材料こそが正しく、清らか、だという何かに他ならず。
また、手にした人々は我が物顔でそれを奮い、自己証明を求め続けるのだ。

争いは、善悪では起こらない。結果が呼び出すものは、全てが欺瞞だ。
正しさと正しさとが衝突、に見せかけながら手を組み、じっくりと生み出す魔物だ。
魔物を打ち倒す象徴、魔を上回る何かが聖なる力、となる。

だがしかし、聖なる力、と一口に言えども、それも結果でしかなく。
敗れ去り、消えてゆくものが魔だと言うのは、いつでも生き残るものだけだ。
生き残れば聖となり、枯れ果てれば魔となる、そのどちらもが、何かの願いだったろう。

愛はといえば、本当はどちらにもある。
結局は選びゆくものでしか、その何もかもは測れない。
生み落とし、感じれば、手に取り、選び、捨てろ、そして愛せよ。

わかるか、人間どもよ。
わかるだろう、人間ならば。

その形代は時に剣となり、後世、誰かや何かの都合で、そう、と、呼ばれる。
ただそれだけのことだ。

虹の蛇

たとえばそんな時、そんな朝、そんな夜には、大切なそれをまたひとつ、心から追い出すものだ。
いつでもどこにでもある、向き合う振りをしたそれを、大切さを見せつけるばかりのそれを。
いつでもどこにでも、いくらでも。悲しみとは、さよならをなぞる前の道筋にただ落ちている。

大切な朝も夜も本当はいくらでもあるものだが、それは驚くほど当たり前の顔で、足取り密やかに通り過ぎてゆくもので、気付いた時には静かに終わっている。
俺達は、僕たちは、わたしたちはいつでも同じことを知らない。せめて同じだけ、自分だけ、貴方だけ、そう思い願うのは手遅れの為だったろうか。

闇の泉にうち潜み、棲み家を探してさよならをしよう。
十重二十重を創造し、二千年の雨を呼んだなら、別離の虹を渡るのだ。
殺された蛇に言葉はなく、永遠の命など誰も必要としない。
同じように、そこには最初から何もなかったのだ。

都合の良い何かのために、また別の何かが奪われている。
それすらも全てが理由であり衝動である仕組みを、否が応でも飲み込んでいる。
この世界こそが、途轍もない蛇の模倣だ。

雨の向こうにかかる虹を、見たいと願うあなたに愛を。
始まりの夜は迫っている。

ここからの一年間の核、幕開けに向かって夜は深い。

百花終繚 #sasayamavo

スピンオフ、転じて12対1でもある千変万化。
暴力的に進む時間の中、きっちりと昇華できたような歌が歌えてよかった。

LON百花編、本当の終幕。今夜はもちろん、一年間、どうもありがとう。
すべての花と、散りつもってきた時間に感謝してる。
そしてまた、すべての愛を歌いたいと思う。サンキューエブリバディ。
これからも精一杯ファイト!します。


2017年4月からの十二ヶ月に渡るシリーズ。
ずっとひとつのことについて感じていたのだろう。
不思議と、そう、と決めて、考えていたわけではない。
考えていたわけでもなく、囚われていたでもなく、それでも。
ふと気づけば、ずっと、当たり前に感じていたのだろう。

ただの人間がいい。どんな時でも。
その苦悩もたとえば快楽も、すべての喜怒哀楽も、人間のものだ。
それでこそ、それをこそ愛というのだろう、と強く、しかしながら静かに、改めてそう思う。

与えられる時間、を概念にするなら、それはいつでも、気付いた頃には思うよりもとても少ない。
簡単に言うなら、人の生はどうであっても有限だ。
であるからこそ、そのすべては奇跡であり、そのすべてが当たり前のことでもある。

当たり前すぎる、当たり前でない時間の中で、限られた時間の中で。
出会ったものも、見つけたものも、感じるものも、とてつもない奇跡の賜物だ。
その中で、例えば好きだと感じ取るものや、注ぎ合える愛情は、誕生にも等しい唯一のものだ。

ほとんどの場合、人は皆、唯一を探すようでいて、それを逃すことを繰り返しながら生きている。
それはそれで、それでこそ人間らしく、愛らしく、切なく、悲しく、醜悪で、しかしながら。
美しくもあるものだ、とも思う。
本当に当たり前のことのはずのことが、本当に当たり前でないような世界だ。

僕はただの人間がいい。どんな時でも。
苦悩し、葛藤し、喜び、悲しみ、涙し、怒り、時に堕落し、常に快楽を求め。
限界も到達点も決めることなく、心の感じる我がままに、生きていたい。
掴んでいたい。選んでいたい。望んでいたい。そして、心から愛していたい。

あえて言うならば、幸せになるために生きればいい、そういうものだ。
不幸ではないこと、だけでは、それは幸せではない。

本当に大切なことは、愛されることが先ではない。
愛するものを愛していたい。そしてもちろん、その先に、愛されていたい。

出会ってくれてどうもありがとう。選んでくれてどうもありがとう。
死ぬまで、愛しているよ。

そういう歌を、歌ってきたのだろう。
そして、歌ってゆくのだろう。

とっくにわかっていたことを、なによりも強く、しかしながら静かに、そう思う。
posted by SASAYAMA. at 03:17Comment(0)日記